大阪高等裁判所 平成11年(ネ)2921号 判決
主文
一 原判決を次のとおり変更する。
二 被控訴人は控訴人に対し、金一二五二万五〇〇〇円、及びこれに対する平成一〇年五月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 控訴人のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。
五 この判決の第二項は、仮に執行することができる。
事実及び争点
第一 申立
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は控訴人に対し、金二五二万五〇〇〇円、及び内金六五八万七〇〇〇円に対する平成一〇年五月二〇日から、内金一六九三万八○○○円に対する同月二二日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 仮執行宣言
第二事案の概要
本件は、控訴人が尾形定夫に貸付をするに際し、被控訴人(当時は株式会社整理回収銀行)が発行した尾形定夫の残高証明書に記載のある残高が、手形貸付にかかる貸付残高のみではなく、全貸付残高であると誤信したため貸付を実行することにしたことに関して、被控訴人職員が右のような残高証明書を発行したことには少なくとも過失があるとして、尾形定夫から回収することが不能となった損害につき、民法七一五条、七〇九条の規定に基づき、被控訴人に対しその賠償を請求した事件の控訴事件である。
一 証拠により容易に認定できる事実等(証拠を摘示しない事実は争いがないもの。)
次のとおり付加、訂正、削除するほかは、原判決の第二事案の概要の一のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決三頁七、八行目の「平成一〇年一月当時、」を削り、九行目の「被告」を「木津信用組合」と改める。
2 原判決三頁末行の「なお、」を削り、「確定している。」を「確定し、平成八年一二月二日その登記がされた。本件根抵当権は、平成九年二月二四日事業譲渡により被告に移転され、同年八月一九日根抵当権移転登記がされた。」と改める。
3 原判決四頁七行目の「同月二二日」を「同年一月二二日」と、五頁三行目の「二一日」を「二二日」と、それぞれ改める。
4 原判決五頁四行目の次に、改行のうえ次のとおり加える。
「6 尾形定夫は行方不明となり、本件不動産について被控訴人の申立により担保権実行の手続がなされた。
7 本件不動産は、平成一〇年三月一九日、持分八六二分の一が西村浩に売却された旨の所有権移転登記がなされ、次いで、残りの尾形定夫の持分につき、共有物分割を原因とする所有権移転登記がなされて、右西村の単独所有とされた。
8 平成一一年一一月一五日、本件不動産は、代金九〇〇〇万円で大黒住宅株式会社に売却された。右売却に際し、本件不動産に根抵当権を設定していた被控訴人、控訴人及び天辰満は、その抹消と引換えに、それぞれ順次七二〇〇万円、一一○○万円及び七〇〇万円を受領した。
以上の経過で、被控訴人は、競売申立を取り下げた。」
二 争点
次のとおり付加するほかは、原判決第二事案の概要の二のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決六頁九行目の次に、改行のうえ次のとおり加える。
「すなわち、本件残高証明書発行当時、尾形定夫の信用状態は悪化しており、しかも、被控訴人(当時の株式会社整理回収銀行)職員三谷和三は、尾形定夫から新しい取引先に見せることを目的に手形貸付の債務残高のみを記載した本件残高証明書の発行を依頼されたのであるから、三谷和三において、尾形定夫が本件残高証明書を不正に利用して第三者から融資を受けようとする可能性があることを容易に予見できた。ところが、三谷和三は、法務担当者に発行の是非等を相談することもなく、漫然と全債務残高を記載したものと誤認させるような形式の本件残高証明書を尾形定夫に発行したのであるから、同人には過失がある。」
2 原判決八頁二行目の次に、改行のうえ次のとおり加える。
「控訴人には、貸金業者として、尾形定夫の所得その他の弁済原資の調達方法の調査を怠り、かつ、尾形定夫を同行して被控訴人(当時は株式会社整理回収銀行)に貸付残高の確認をすることを怠った過失がある。」
理由
一 事実経過
証拠と弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
1 尾形定夫は、昭和六〇年ころから木津信用組合と取引を開始し、平成元年三月ころ以降継続的に融資を受けてきた。平成九年一二月一〇日当時の尾形定夫に対する貸付残高元本は、前記のとおり、手形貸付が五〇五五万七四一〇円、証書貸付が一億四四四七万二七七三円の合計一億九五〇三万〇一八三円であった。しかし、当時は既に新規貸付等の取引はされておらず、右貸付残高の支払だけが残されていた。このころ、尾形定夫の被控訴人(当時は株式会社整理回収銀行。以下同じ。)に対する債務の弁済は滞っており、以後貸付残高元本は弁済により減少することはなかった。(乙一、証人三谷和三)
2 尾形定夫は、平成九年一二月九日、同人に対する債権管理を担当している被控訴人大阪第一事業部管理回収部を訪れ、職貝の三谷和三及び橋上博男に対し、手形貸付のみに関する債務残高証明書の発行を依頼した。三谷和三らは尾形定夫に対する貸付残高の総額及び科目別内訳を調査のうえ尾形定夫に伝えた。そして、手形貸付のみの残高証明書を必要とする理由を尋ねると、尾形定夫は「新しい取引先に見せるので一部だけでよい。」と答えたが、三谷和三らはそれ以上の質問をすることなく、また、法務担当者に発行の是非等につき相談することもなく、本件残高証明書を発行することとし、手形貸付取引のみについての残高証明依頼書を尾形定夫から提出させ、翌一〇日に同日付けの本件残高証明書(別紙のとおり)を尾形定夫に交付した。被控訴人において、残高証明書の様式は、一部科目のみの残高証明の場合と、全債務残高の証明の場合とで、同一の様式の用紙が使用され、取引科目が多いときは下部の表を数行用いていた。(乙二、三、証人三谷和三)
3 控訴人は、尾形定夫からの借入申込みに際して、同人から、本件不動産の登記簿謄本、固定資産税評価証明書、住民票及び免許証のコピーの提出を受けたほか、本件残高証明書の提出も受けた。尾形定夫は、被控訴人に対しては、右証明書記載の手形貸付関係の債務残高しかないと控訴人に説明した。控訴人は、被控訴人に直接尾形定夫の債務の残高確認をしても、顧客の信用にかかわることであることから拒絶されると考え、これをしなかった。しかし、本件不動産の登記簿によると、本件根抵当権の元本は確定しているうえ、本件残高証明書によれば、本件根抵当権の被担保債務は五〇〇〇万円余りであり、他に担保権は設定されていないことから、本件不動産には十分担保余力があるものと判断し、前記のとおり、本件貸付を実行することとした。本件貸付にあたり、実際に尾形定夫に交付された金額は、利息の天引をしたため、平成一〇年一月二〇日貸付分が六五八万七〇〇〇円であり、同月二二日分が一六九三万八○○○円である。(甲一〇、一三、一六)
4 被控訴人では、第三者からの残高確認には応じないが、顧客本人が同行して確認を求めたときは、これに応じる扱いとしていた。(証人三谷和三)
5 尾形定夫は控訴人に対し、本件貸付につき、平成一〇年五月二〇日ころまでの利息を支払ったが、以後全く弁済はしていない。(甲一〇ないし一六)
二 被控訴人の責任1 本件全証拠によるも、被控訴人職員が尾形定夫と共謀して、控訴人から金銭を詐取した事実は認められない。
三 被控訴人の責任2
1 金融機関が顧客に発行する取引残高証明書は、その顧客が他の取引予定者に示してその金融機関に対する債務全額が記載の額しかないことを明らかにし、顧客の信用力を立証するために用いられることが多いことは、当裁判所に顕著である。他の取引予定者からすると、特定科目の債務よりも、金融機関に対する債務総額、または金融機関の有する抵当権の被担保債権額の総額を知ることに関心があると思われる。特定科目のみの残高証明書が発行されることが少ない(乙三、証人三谷和三)のも、このことによるものと考えられる。
2 本件残高証明書は、別紙のとおりの体裁のものである。これを見ると、本文において、「お取引残高は下記のとおりであることを証明いたします。」とあって、特定の科目のみについての取引残高の証明とは記載していない。特に被控訴人の取り扱いでは、被控訴人が一部の取引科目についての証明のつもりで発行したものでも、全ての取引科目についての証明のつもりで発行したものと形式が同一であるから、これを見た者が、一部の取引科目だけの残高証明であることは理解できない。そして、このような残高証明書を見ることになる取引予定者の多くは顧客の一部の取引科目ではなく、全て(又は被担保債権となるものの全て)の債務(取引残高)に関心があるものであり、現実に一部の取引科目だけの残高証明書が発行されることも少ない。
このことからすると、別紙のような残高証明書を見た取引予定者は、その顧客が金融機関に負っている債務(取引残高) の全ては、証明額しかないと理解するのが通常であると考えられるし、少なくともそのように理解される可能性の高いことは明白である。
3 そうすると、被控訴人としては、残高証明書を作成するにあたっては、一部の取引科目のみの証明であることが明らかになるような記載をすべき注意義務があったというべきである。被控訴人はこの義務を怠った点で過失がある。特に、本件では、取引予定者に見せるためのものであることを知らされ、尾形定夫は被控訴人に対する債務の弁済も滞っている状態であり、この証明書を利用して他から金融を得ることも予想されたのであるから、右の注意義務は更に大きかったといえる。
4 もっとも、控訴人としては尾形定夫を伴って被控訴人に赴いて尋ねるか、尾形定夫を通じて取引残高全額であることを明記した被控訴人の証明書を得れば、尾形定夫の被控訴人に対する債務全額が明らかになったであろう。しかし、控訴人としては本件残高証明書を見て、それが一部の債務だけの証明であると疑うべき事情があったともいえない。
被控訴人は、貸金業者である控訴人としては、本件残高証明書に証書貸付の記載がないことについて不審を抱いてしかるべきであり、本件根抵当権の極度額が三億円であることから、貸付残高総額が五〇〇〇万円余りに過ぎないことに疑念をもつべきである旨主張する。しかし、銀行が発行した証明書の記載に疑いを持つべきとするにはそれ相応の理由がある場合に限られようが、手形貸付関係以外に債務残高が存しないことが稀であると考えることはできない。また、本件根抵当権の極度額は三億円であっても、元本確定から二年以上経過した時点で債務残高総額が五〇〇〇万円余りであることに格別疑念を持つべき事情があるとは認められないから、本件残高証明書により尾形定夫の被控訴人に対する債務残高総額が五〇〇〇万円余りに過ぎないと認識して、本件不動産に担保余力があると判断した第三者が、尾形定夫に対し新規の貸付をする事態を予測することは、被控訴人職員らにとって可能であったというべきである。
5 被控訴人が本件残高証明書発行の当時に、尾形定夫が取引予定者に対し、被控訴人に対する全債務が証明書記載の額であると騙すであろうことを知っていた証拠はない。しかし、このような証明書を発行する以上、それが濫用されるであろうことを具体的に知っていなくとも、このような残高証明書には一般的にその可能性がある以上、被控訴人に過失があるとするのを妨げるものではない。
6 被控訴人は、本件残高証明書の発行者に何らの確認もしないで貸付を実行するような貸金業者があるなどということは、金融機関にとって予測不可能であると主張する。しかし、本件のような形式の残高証明書を見た取引予定者の殆ど又は多くが、発行者に確認を求めているなどという事実は到底認めちれないから、右主張は採用できない。
7 証人三谷和三は、過去に顧客の要望により特定科目の残高証明書を発行したことにより問題は生じたことはなく、尾形定夫が新規取引先に金融機関と尾形定夫間の短期的な与信取引の状況を提示する必要があるような事態もあり得ると考えて、尾形定夫に詳しい説明を求めなかったと供述しているが、三谷和三の個人的経験から一般に本件残高証明書のような文書が第三者に誤解を生じさせるおそれがないと判断することに合理性があるとはいえないし、尾形定夫に具体的確認もしないで発行依頼の目的を推測して納得したからといって免責されるものでもない。
8 以上のとおりであり、手形貸付取引だけの残高証明書であることを明らかにする証明書を発行せずに、本件残高証明書を発行した被控訴人職員には控訴人に損害を生じさせたことに過失がある。
四 損害
前記の証拠により容易に認定できる事実及び一、三の認定、説示によれば、本件根抵当権の元本が確定し、新規の融資取引が発生する余地がなくなってから二年以上を経過した時点において、本件残高証明書により尾形定夫の被控訴人に対する残債務総額が五〇〇〇万円余りと判断した控訴人が本件貸付を実行したが、真実は右債務総額が二億円近くも存したために、本件貸付により交付した貸金全額の返済が受けられなかったものであり、仮に被控訴人の被担保債権が五〇〇〇万円余であったときは、控訴人はその貸付債権の全額を回収できたものと認められる。したがって、控訴人が返済を受けることが不能に帰した金額相当の損害は、本件残高証明書発行により生じた損害ということができる。
そして、前記のとおり、控訴人は、本件不動産に対する担保権抹消に際して一一〇〇万円を受領しているところ、甲二九によれば、右支払は、西村浩から、本件貸付の第三者弁済内金としてなされたことが認められる。したがって、控訴人の損害は、平成一〇年一月二二日に尾形定夫に交付した金員中の一二五二万五〇〇〇円であると認めるべきである。前記認定事実と弁論の全趣旨によれば、尾形定夫の他の資産等から控訴人が右損害の回復を得ることは不能であると認められる。
五 結論
以上によれば、控訴人の請求は、金一二五二万五〇〇〇円、及びこれに対する不法行為後である平成一〇年五月二二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。
よって、原判決を主文のとおり変更することとする。
(裁判長裁判官井関正裕 裁判官前坂光雄 裁判官矢田廣髙)
《参考》
本控訴判決は「証拠により容易に認定できる事実等」として、原判決を引用しているが、この部分の原判決(控訴判決により付加訂正削除されたのちのもの)は、次のとおりである。
一 証拠により容易に認定できる事実等
1 原告は、貸金業の登録をした貸金業者である。
なお、株式会社整理回収銀行(以下「整理回収銀行」という。)は、平成一一年四月一日、被告を存続会社とする合併をした(整理回収銀行についても、以下「被告」という。)。
2 訴外尾形定夫(以下「尾形」という。)所有に係る別紙物件目録一ないし六記載の各不動産(以下「本件不動産」という。)には、極度額を三億円、被担保債権の範囲を信用組合取引、手形債権、小切手債権、債務者を尾形、根抵当権者を被告とする根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)の登記がなされていた(甲2ないし7)。
なお、本件根抵当権は、平成七年一〇月三一日、元本が確定し、平成八年一二月二日その登記がされた。本件根抵当権は、平成九年二月二四日事業譲渡により被告に移転され、同年八月一九日根抵当権移転登記がされた。
3 平成九年一二月五日時点において、尾形の借入は、手形貸付が五〇五五万七四一〇円、証書貸付一億四四四七万二七七三円の合計一億九五〇三万〇一八三円であったところ(乙1)、被告は、平成九年一二月一〇日、別紙のとおりの残高証明書(甲1、以下「本件残高証明書」という。)を作成、尾形に交付した。
4 原告は、尾形に対し、平成一〇年一月二〇日、弁済期を同年三月一九日、利息を年36.5パーセントと定めて、七〇〇万円を、同年一月二二日、弁済期を同年三月二一日、利息を年36.5パーセントと定めて、一八〇〇万円をそれぞれ貸し付けた(甲8、9、以下「本件貸付」という。)。
5 尾形は、原告との間で、平成一〇年一月二〇日、本件不動産について、極度額を一〇五〇万円、被担保債権の範囲を金銭消費貸借取引、証書貸付取引、手形割引取引、手形貸付取引、保証取引、手形債権、小切手債権、債務者を尾形、根抵当権者を原告とする根抵当権を設定し、その旨の登記をし、さらに、同月二二日、極度額を三七五〇万円とする変更登記をした(甲2ないし7)。
6 尾形定夫は行方不明となり、本件不動産について被告の申立により担保権実行の手続がなされた。
7 本件不動産は、平成一〇年三月一九日、持分八六二分の一が西村浩に売却された旨の所有権移転登記がなされ、次いで、残りの尾形定夫の持分につき、共有物分割を原因とする所有権移転登記がなされて、右西村の単独所有とされた。
8 平成一一年一一月一五日、本件不動産は、代金九〇〇〇万円で大黒住宅株式会社に売却された。右売却に際し、本件不動産に根抵当権を設定していた被告、原告及び天辰満は、その抹消と引換えに、それぞれ順次七二〇〇万円、一一〇〇万円及び七〇〇万円を受領した。
以上の経過で、被告は、競売申立を取り下げた。